in my case

自分のモノサシで測り、自分の目線で見た、50代を迎えた私のあんなことこんなこと

あれから20年ちょっとが過ぎて…(気持ちの変化)

子宮頸に癌が見つかり、広汎子宮全摘術を受けてから20年ちょっとが過ぎ、術後から今までの心境を書きたいと思います。

 

癌が見つかった時、私は20代後半で、

仕事は順調で後ろ盾を得て起業を考え始めていた頃で、

好きな人はいたけど彼氏ではなくて、

望めば、努力をすれば何でも叶えられると考えていた時、

 

そんな時に癌になった。

 

検査を受け検査結果が出るまでの間に、担当医が笑顔で癌だったよと告げに来る夢を見た。

今とは違い、当時はすべての人に癌の告知をするわけではなく、私の時も医師がまずは私の両親に話をし、私に病気のことを告げるかどうかの話し合いをしたようだ。

どれほど最悪の状態でも全てを知りたいと考えていたので、夢を見た次の日に、担当医にどんな結果でも私に話して欲しいと伝えたことを覚えている。

 

検査をした病院から、癌専門病院へ転院し詳しい検査が始まった。

どうにか子宮を残す方法はないのか…と担当医に懇願したが、子宮を残すことより生きることを考える状況であることがわかった。

 

そんなこんなで、当時は子供が出来なくなったことが辛くて悲しかった。

 

手術から1年と少したった頃、夫に出会った。

友人から始まった関係なので、付き合う時には私に子供ができないことを夫は知っていた。

付き合い始めて1年もしないうちに結婚をした。

 

結婚当時からずっと夫に対して、心の片隅に小さいながらも無くならない、自分の子供を持つという事を諦めさせてごめん…と言う気持ちがある。

 

夫は子供を持てないことに対して、何一つ語らない。

 

結婚20年ちょっと、私たち夫婦は仲が良い。

喧嘩もするし、スキンシップもどんどん減って来たし、最近の会話は殆ど愛犬のことだけだけど(笑)

 

私の周りの人は病気のことを知っているので、結婚しても子供はまだ?と言われたことはない。

妊活も不妊治療もない。

生理もないからいつでも温泉に行ける。

 

夫は3人兄弟の末っ子で、姉と兄がいる。

舅は私達夫婦のことに全く口出しをしない、結婚して6年後に亡くなった姑は1度だけ末っ子の嫁が私だったことへの愚痴を口にしたことがある。

孫の顔は見せれないけど、幸せに暮らす息子の笑顔は見せることが出来ている。

 

術後の前半は悲しみや辛さが大きかったけど、再発もなく共に生きるパートナーにも出会い少しづつ少しづつ悲しみも辛さも消えていった。

 

そして…

あれから20年ちょっと過ぎて、実は子供が出来なくなったのは神様からのプレゼントではないかと感じている。

私は母親に支配されるような育てられ方をした。

母親が大嫌いだ。

今の自分であれば、母親と同じようなことをすることなく子育てをすることが出来るかもしれない。

しかし、

母親と距離を取れずにいた頃に子供を持っていたら、自分も母親と同じようなことをしていたかもしれない。

自分の子供に、自分と同じような思いをさせてしまったら、自分が受けた辛い想い以上に自分のしたことにより苦しむことになったと思うのだ。

 

夫婦二人と愛犬2匹の生活は、私には幸せだ。

だから今は、虐待の連鎖のような状態を回避できたことを、良かったと感じるのです。

子宮頸癌になったことは悲しい出来事で、術後長い間子供の出来ない部分を自分の人生の負だと思っていましたが

20年ちょっと経った今の私には、これで良かったと心から思うのです。