in my case

自分のモノサシで測り、自分の目線で見た、50代を迎えた私のあんなことこんなこと

着信拒否をして2年が過ぎて

両親と話をしなくなって2年以上が過ぎた

もちろん会うこともない

お陰で心が掻き乱されることがなくなったので

ブログに吐き出す必要がなくなって随分と放置をしてしまった

 

この2年の間、母親から自宅の電話に何度か着信があった

直ぐに留守電になるようにしているので出ることはない

留守電にメッセージが残ってる時があり着信に気が付く

 

『お母さんが悪かったなら謝るから電話に出て話をしてくれ』

そんな言葉が何度か残っていた

自分が悪いことをしたとは思っていないようだし

自分の言葉がどれだけ私を傷つけて来たかなんて

こうなってもなお思いもしないのだろう

 

何度も同じことを繰り返して来たから

話をしても何も変わらないと断言できる

もう2度と母親と言葉を交わすことはないだろう

それで良いと私の心が言っている

 

先日の日曜日

家の電話に着信があり夫がでた

電話は私の母親からで、夫は側にいた私を見て

彼女は出かけている、と言ってくれた

 

随分前から母親からの電話はスピーカーで話すようにしていたので

夫も母が発した心ない言葉の数々を聞いていて

もう私の実家とは連絡を取らないことを理解してくれている

 

兄から時々、実家に連絡をしたらどうか?と

言われることがあるがスルーをしている

 

昨年6月に左眼が網膜剥離でいきなり見えなくなった

手術で失明は免れたけど11月に術後の合併症で再手術になり

正直自分のことでせーいっぱいで親のことを考える余裕はない

 

自分を大切に

親の人生より

自分の人生を大切に生きよう

そう心から思い過ごす今日この頃です

 

 

幼い自分に伝えたいこと

幼い頃の自分に伝えたいことがある。

親からは愛されないから、期待をしないで欲しい。

それは愛ではなく支配なのです。

求めることでもっと、苦しい思いをし、自信をなくし、折角持っている自分の良いところがのばせなくなるから。

親の言うことを信じなくいい。

あなたには出来ることがいっぱいあって、人とは違うところがいっぱいあるけど、それこそがあなたにとっての強みとなるのだから。

人と同じであろうとすることで、失った可能性が悔しくてしょうがない。

 

あの時あの選択をしていれば、そんな後悔はないけど

親に認められようと、褒められようと、親の顔色を伺いながら過ごした時間が悔しくてしょうがない。

大丈夫、そのままのあなたで良いのだから、自分を自分のままでいさせてあげて

親には愛されなくとも、

将来、友や伴侶が、あなたを愛してくれる人が現れるから。

 

 

誕生日が近くなると、幼い頃の自分を思い出し、少し辛くなる。

だから、今年は幼い自分に聞こえるように、何度も伝えよう。

 

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大嫌いな母に感謝していること

母親のことが大嫌いではあるが

そんな彼女に対して感謝していることがある。

私は中学生の頃から家を出て暮らすことを切望していた。

母は腹が立つと、私が気に入っていた物でも親が買ってやった物だからと取り上げようとした。

故に

欲しい物は自分で稼いで買う。

自分の生活は自分で、自分の居場所は自分で作り、誰からも出ていけと言われない生活をする。

そう決めて、実行して来た。

お陰で、自分で人生を切り開く力を身に付けられた。

自分で稼いで買った物は誰にも取り上げられることはない。

自分で借りた家は誰からも出て行けと言われない。

何かあれば自分でやれば良い、

それを身につけられたのは、やはり母のお陰だと思う。 

私がやる事を先回りしてやり、ことごとく私の行動を把握し、時に甘やかし自分がいないと何も出来ないような娘に育てる、私を支配するためにしていたことが、逆に私を強くする源になった。

感謝しかない。

現在私は無職だ。

夫が私の生活の基盤を支えている。

実はこれが私の心の奥底を不安にし、親と縁を切ることへの足枷になっているのではないかと思い始めた。

最終的に親に金銭的に甘える日が来るのではないかと感じていて、縁を切ることに躊躇をして来たのかも、と。

だから私も稼ぐ道を探る。

そして稼ぐぞ。

 

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着信拒否

先月、母からの着信があって以降続いていた動悸やイライラをどうにかして治したくて

1つ行動をした。

それが着信拒否だ。

母の携帯だけを拒否してもダメなので、父の携帯も着信拒否設定をした。

これでバイブ音がする度に、母からだったら無視をしなくては…

何度掛け直してきても絶対でないぞ…

そう心に負担をかけなくて済むようになった。

 

いつも、もう電話はしない!と捨て台詞を言うのは母なのに。

またかけて来ては、私の塩対応が気に入らず、なんやかんやと怒っては勝手に電話を切る。

そして、またかけてくる。

このループを断ち切った。

私はそれだけで、心が少し前に進んだ気がする。

 

 

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穏やかな思い出

思い出す実家での出来事の中で、心穏やかな思い出もある。

小学生の頃飼っていたインコとの思い出だ。

暖かい季節、夕方になると帰宅した父が羽を短くしたインコを庭の木に放つ。

羽が短いので遠くには飛んで行かないが、庭の木にとまったり庭に降りたり、時々私の肩や指に飛んで来て寛ぐ。

陽が傾き始めた夕時、庭の木や花に水を撒く父、庭でくつろぐ小学生の私。

この光景はしっかり覚えているけど、その思い出の記憶には何故か兄と母は出てこない。

しかし兄は誰よりもインコを可愛がっていたはずだ。

亡くなる前、具合の悪くなったインコに付き添い泣いていた兄を覚えている。

私の記憶力の問題か…

それとも兄は母とも父とも過ごすこともなく、家では1人でいる事が多かったのか…

自分の記憶を辿る事で、新しく見えて来たものもある。

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首の痛み

最近首が痛くなることが多い。

寝違えたりと言うことが多いが、携帯やパソコンの見過ぎでストレートネックになっているのが主な原因ではにかと思っている。

首が痛む…

で思い出した昔の出来事がある。

小学生の高学年の頃だったと思が、私がなかなかお風呂に入らなかったことに腹を立てた母親が2階の部屋にいた私のところに来て、強引に引っ張りお風呂場まで連れて行き、そのまま浴槽に放り投げ、お湯に沈めようと上から押さえつけたのだ。

苦しいともがいたのだろう、そこはあまり覚えていない。

次の記憶は母のかかりつけのあん摩をしてくれる先生の所だった。

鞭打ち状態の私の首を見てもらいに来ていた。

母は、どうしてこうなったのか正直に先生に話したのか…

目の見えない先生は、その鋭い感覚で何かを感じ取ったのか…

  

母は自分の思い通りにならないと、私には何をしてでも従わそうとした。 

あの時、父と兄はどこにいたのか…

誰かが助けてくれたのか、それとも母が我に返ったのか…

記憶は曖昧だけど、起こった出来事は事実だ。

 

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母は…

何から書いていいのか分からない。

毒親との関係を綴ったブログや記事を読むと、親から浴びせられた酷い言葉がが書いてあった。

私も色々言われたが、けどそんなにない。

よくよく思い出し考えてみると、私は全く期待されていなかったようだ。

そお言う面で良い言葉であれ悪い言葉であれ、親にあまり言葉をかけられた事が少ないようだ。

褒められたこともない。

今日学校であったことを話したことも、悩みを相談したことも、私は母に話したことがない。

私は中学生から結婚するまでずっと日記を書いていた。

親が聞いてくれるはずの話は、日記が受け止めてくれていたようだ。

 

 

母は私が物心ついた頃には働いていた。

幼い頃はパートだったり、小学生に上がる頃には正社員として働いていたと思う。

学校から帰り家に人がいたことがない。

だからと言ってこれが寂しかったと言う記憶もない。

3学年上の兄が少し遅れて帰って来ていたことと、多分、母がいないことにホッとしていたんだと思う。

小学生の低学年の頃だったと思うが、いつもと違う感じで覚えていることが1つある。

母がクッキーを焼いたことだ。

多分オーブンを買って、それで焼いてみたんだと思う。

クッキーを焼いたのはそれ1度きりだと思うけど、美味しかった等の記憶はなく、ただ珍しい事として記憶している。

母の記憶で、ましな思い出が1つでもあって良かった。

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